但馬牛を世界的なブランドへ|『神戸うすなが牧場』碓永芳輝さんインタビュー

神戸市西区の岩岡町。大阪の中心部から電車でも車でも1時間ほどで行ける場所にある『神戸うすなが牧場』。関西の肉好きならその名前を聴いたことがあるのではないでしょうか。責任者のInstagramは農家さんでは異例のフォロワー4000人超。彼や、彼の仲間が生み出す『純但馬うすなが牛』は、兵庫や大阪をはじめとする数々の名店で愛されています。

 

今回はそんな『純但馬うすなが牛』の生産責任者である碓永芳輝(うすながよしき)さんのインタビューをお届けします。1995年生まれの26歳(2022年10月時点)。高齢化が進む畜産農家では飛び抜けた若さでありながら、不可​​能だと言われた但馬牛のETによる大量生産、そして海外輸出など、今後、業界に衝撃を与えるかもしれない挑戦をされています。

 

 

 

 

昔は但馬牛が嫌いだった

碓永さんが生産責任者を務める神戸市の牛舎

碓永さんの牛飼いのルーツは2代前までさかのぼる。祖父が博労(ばくろう)という、牛を売買する仕事を営んでいたことがきっかけだった。当初は売買するだけだった家業だが、やがて小売を手がけ生産まで行うように。その過程で芳輝さんは生まれた。小さい頃から家業を継ぐ。と、決めていたワケではない。むしろ、真逆の感情を抱いていた。

 

 

「牛が嫌いでした。小さい頃の僕にとっては“面倒な世話を手伝わされる”というイメージ。臭いし、しんどいし、夏は暑くてたまらない。ネガティブなイメージしかありませんでした。また、父親からは“牛飼いは儲からないから(継ぐのを)やめとけ”と言われていたこともあり、自分が牛飼いになる未来なんて微塵も想像していませんでした」

 

 

一方で“お金持ちになりたい”想いは強かった。親戚や知人に経営者が多かったから。畜産だけでなく、さまざまな業界で活躍している人を間近で見ていた。中には、地元で知らない人はいないほどの有名企業を率いる人もいた。“この人たちみたいになりたい”。野望にも似た想いから焼肉店経営に興味を持つことになったのが、牛飼いの道へ進む第一歩だった。

 

 

「大学に通いながら焼肉店で修行し、そのかたわら実家の牛の世話や出荷の手伝いをしていました。お店では提供者として、実家では生産者として、牛に携わっている中で、あることに気がついたんです。それは“儲かっている牛飼いと儲かっていない牛飼いがハッキリ分かれている”ということ。その現状をチャンスと捉えたんです」

 

 

儲からないというイメージしかなかった牛飼いという仕事。しかし、いろんな角度から見ていると、やり方次第でどうにでもなることが分かってきた。そのやり方を一言で表現すると“技術と情報の共有”。閉鎖的にならず、常に挑戦とアップデートを続けている牛飼いは、しっかりとした利益を生み出している事実が見えてきたのだった。

 

 

前人未到。但馬牛の大量生産に挑む

牛飼いの道に進んだ碓永さん。最初の成功体験でありターニングポイントとなったのが、買い付けから出荷まで初めて1人で担当したことだった。70万円で買い付けた牛が150万円で売れ、30万円の粗利を手にしたのだ。手応えを得た碓永さんは1頭また1頭と肥育経験を重ね、ついには繁殖まで挑戦することに。そこで、一世一代と言える挑戦に出会った。

 

 

「ET(Embryo Transfer 受精卵移植)という繁殖手法があります。これは、優秀な母牛に人工授精を行い、体内に複数の但馬牛受精卵をつくり、但馬牛とは別の雌牛(ホルスタイン)に移植し、出産してもらうというもの。1頭あたりたくさんの牛を産むことができるETは効率がよく、一部の地域では重宝されています。でも、但馬牛界隈では一般的ではありません」

 

 

純血の但馬牛同士で仔牛をつくるということは、人間が親戚同士で子供をつくるようなもの。必然的に脆弱な仔牛が産まれやすいという。事実、碓永さんが初めてETで繁殖した但馬牛の約半数が、食肉になることなく命を落としてしまった。リスクが高いからこそ、挑戦する農家さんがほとんどいなかったのだ。しかし、碓永さんは諦めなかった。

 

 

「むしろ、成功事例がないからこそ、絶対に成功してやろうという思いが強くなりました。同じ兵庫県で成功されている農家さんは知らなかったので、宮崎、岐阜、岩手と地方の農家さんへ勉強に。いろんな方からETの成功確率を上げる方法を学んでいったんです」

 

 

感染症が広がらないために牛舎同士を遠ざけること。勢いよく飲みすぎて飲み物が肺に入らないよう哺乳瓶の乳首のサイズを調整すること。誤嚥(ごえん)しないよう母牛と同じ高さでミルクをあげること。先輩農家から教わったノウハウを徹底することで、少しずつ、成功確率を上げていった。今後はさらにその確率を上げていくつもりだ。

 

 

大量生産をしてもおいしくなければ意味がない

碓永さんの牛飼いとしての情熱は「味」にも注がれている。いくら大量生産に成功しても、「味」がよくなければ本当の意味で但馬牛を普及させることはできないと思っているからだ。数あるこだわりの中でもピックアップして紹介したいのがエサへのこだわり。

 

 

「地場で生産されたみりん粕、酒粕、ビール粕、ウイスキー粕などを配合した独自の飼料を使用しています。これは、尾崎牛の尾崎さんに教えてもらった配合方法。良質なたんぱく質やカルシウム、ビタミンなどがバランスよく含まれていて、きめ細やかな肉質を生み出します。加えて消化吸収を助けるNS乳酸菌も配合。おいしくて健康的な但馬牛を生み出すために工夫を重ねてきました」

 

 

日本有数のブランド和牛『尾崎牛』。その産みの親である尾崎宗春氏に教えを請い、上質なお肉を生み出すための上質なエサを導入。ただサシが多いのではなく、現代人に好まれる赤身そのものの旨味を追求したのが純但馬うすなが牛の特徴だ。牧場近くにある直営店『wagyu jockey』をはじめ多くのお店で楽しまれ、その知名度を急上昇させている。

 

 

但馬牛・神戸ビーフの観光牧場をつくりたい

「小さい頃は身近な存在すぎてその凄さを実感できなかった但馬牛。さまざまな経験を積む中でその凄さが身にしみてきました。焼肉はもちろん、ハンバーグ、ハンバーガー、ステーキなど、いろんなカタチでたくさんの人に届けていきたい。日本国内にとどまらず、海外まで。すでにアメリカに輸出を行っており、今後さらに拡大していく予定です」

 

 

“お金持ちになりたい”という想いがきっかけで歩み始めた牛飼いの道。知識を得、技術を磨き、直営店の経営や飲食店へ納品する中でその考えは「儲けたい」から「届けたい」に変わっていった。但馬牛の魅力に触れられなかった県外や海外の人たちへ、その魅力を届けていきたいという想いが行動の原動力になっている。そしてその先にはこんな未来を描く

 

 

「生まれ育った兵庫県で観光牧場をつくりたいです。日本一の牛、但馬牛をただ育てるだけでなく、牛舎の見学や、バーベキューをはじめとするレジャー施設を併設した“観光牧場”をつくり、日本が誇る但馬牛のブランドをもっと広めたいし、高めていきたい。そのために、数ある課題を1つ1つクリアしていきます」

 

嫌いだった但馬牛を、世界的なブランドへ。その挑戦は、まだ始まったばかりだ。(終わり)

 

 

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