【インタビュー】「死にかけた直後でも焼肉が食べたかった」。大阪・中崎町『焼肉たまき』代表の焼肉にかける想いが想像以上にアツかった~前編~

 

本当にうまいお店を「人」という切り口から掘り下げるインタビュー企画。

 

第1回は、中崎町にある『焼肉たまき』の代表:岩代康弘さんです。

 

最高等級の和牛をリーズナブルな価格で提供するなど、おもてなし精神溢れるお店はいかにして生まれたのか。

 

お話を聞いてわかったのは、紆余曲折を経たからこそ生まれた絶対に折れない信念の強さでした。

 

この記事を読み終えたあなたは『焼肉たまき』の大ファンになっていることでしょう。

 

 

 

飲食店経験0からのスタート

 

(きためし)
オープンから4年目突入、おめでとうございます。きょうは『焼肉たまき』、そして、岩代さんの魅力を深く掘り下げたいと思っています。よろしくお願いします!

 

 

(岩代さん)
よろしくおねがいします!

 

岩代康弘さん。1973年12月30日生まれ。大阪・中崎町の『焼肉 たまき』代表。2016年6月オープン。

 

【中崎町】『焼肉 たまき』~肉好きが悶絶する大阪の焼肉店。上質なブランド和牛をお手頃価格でいただける~

2019年5月17日

 

(きためし)
オープンが2016年6月ですから比較的新しいお店です。それまでは違うお店を経営されていたのですか?

 

(岩代さん)
全く違って、もともとは現場の職人でした。「はつりや屋職人」と言われる、コンクリートの構造物を壊したり形を整えるために削ったりする仕事。重労働ですね。飲食店経営とは全く関係の無い人生でしたよ。

 

(きためし)
本当に関係ない…。飲食店経営に携わるようになるまでに、何があったのでしょうか。

 

(岩代さん)
当時から、焼肉が好きで好きでたまりませんでした。

 

「好きで好きで仕方なかったんです」

 

(岩代さん)
週3.4回は必ず。年100回以上は食べていました。周りの人がひくぐらいです。そんな生活を続けているうちに「この魅力を誰かに伝えたい」という思いが芽生えたんですよね。

 

(岩代さん)
飲食店で働いた経験はなかったのですが、焼肉への愛は誰にも負けない自信がありました。当時、経済的に安定した生活を送れていたものの、どうしても焼肉屋がやりたくて。40歳を過ぎたころに仕事を辞めて、飲食業界に飛び込みました。

 

(きためし)
40歳でその決断はなかなかできないと思います…。飛び込んだとのことですが、すぐに自分の店を持てるわけではありませんよね?

 

(岩代さん)
もちろんです。皿洗いからスタートですよ。ただ、幸運な出会いがありました。

 

(きためし)
出会い…?

 

 

 

死にかけた直後に「焼肉が食べたい!」

 

(岩代さん)
働いていたお店に、のちに師匠となる人が携わっていました。焼肉一筋48年。その方に「いつか自分のお店を持ちたい」という話もしていたら、しばらくしたある日、「よし。じゃあお前、俺を雇え!」と言ってくださったんです。

 

 

(きためし)
展開が早すぎます(笑)。「雇え!」ですか?

 

(岩代さん)
言葉の通りですよ。自分のお店をオープンして、スタッフとしてその人を雇うということです。僕は代表という肩書きであるものの、ノウハウを教えてもらいながら経営するというかなり変わった形でスタートしました。

 

(きためし)
すごい…。岩代さんの熱意が強かったからこそ、そこまでしてくれたのではないでしょうか。

 

(岩代さん)
「自分の手で最高のお店を作りたい!」という思いは誰よりも強い自信がありました。もしかしたら、その思いを評価してくれたのかもしれません。

 

(岩代さん)
肉の切り方や接客など、一から教えてもらいました。また、その方にとって最後の弟子だったということもあり、仕入れのルートを全て使わせてもらうことになりました。関西トップレベルの黒毛和牛を仕入れられるすごいルートなんです。本当に幸運でした。師匠に出会っていなければ、今の自分はありません。

 

(きためし)
40歳を超えてから全く違う業界へのチャレンジ。「うまくいかなかったら…」という不安はありませんでしたか?

 

(岩代さん)
そこに関しては、病気が大きかったかもしれません。

 

(きためし)
病気…ですか?

 

(岩代さん)
はい。生死をさまようほどの大病を経験しました。胆石が詰まって胆嚢が腐ってしまったんです。あと1日病院に行くのが遅れていれば命を落としていたと言われたほどでした。現場仕事をしていた時ですね。

 

(きためし)
そうだったんですね…。復帰までどれくらいかかったのですか?

 

(岩代さん)
胆嚢を摘出するだけの手術だったので無事に成功して、5日ほどで退院することが出来ました。

 

(岩代さん)
退院してすぐ、友人に「なにが食べたい?」と聞かれたので「焼肉!」と即答したんです。死にかけた直後なのに焼肉が食べたくて仕方がなかった。笑い話に聞こえるかもしれませんが、その時、「本当に焼肉が好きなんだ」と改めて思ったんです。

 

 

 

死に直面したことで本当にやりたいことが明確になった岩代さん。

 

地道な修行を経て、2016年3月に『焼肉 たまき』をオープンしました。筆者自身、何度もリピートしている大好きなお店です。

 

魅力はなんといっても良心的な価格設定です。

 

「できるだけ多くの人に和牛の良さを伝えたい」。その一心から繰り出される至極のサービス精神を掘り下げました。

 

 

 

焼肉は一大イベント

 

(きためし)
壮絶な過去を乗り越えてオープンした『焼肉たまき』さんの特徴はとにかく安いということ。高級路線でブランディングできるレベルにもかかわらず、いまのスタイルを貫くのは何か信念があるのでしょうか。

 

(岩代さん)
全ての人に焼肉の良さを伝えたいという思いが原動力ですから、高くする意味がないというか…。必要がないんです。だから、A5等級のマーブリング8以上の最高等級のお肉を、学生さん、若い人でも食べられる値段で提供しています。

 

【中崎町】『焼肉 たまき』~肉好きが悶絶する大阪の焼肉店。上質なブランド和牛をお手頃価格でいただける~

2019年5月17日

 

(きためし)
おっしゃる通り、ステーキカットのシャトーブリアンが200gで¥3,200など、衝撃的な価格に目がいきます。客目線で言えば非常にありがたい。一方で、どこかにしわ寄せがいくのではないでしょうか。たとえば利益を圧迫したり…。

 

(岩代さん)
正直、カツカツの月もありますよ(笑)。例えば同じ量のシャトーブリアンを食べログ百名店に選ばれるようなお店で食べれば200gで¥8,000は軽く越えてきます。ウチは原価率が圧倒的に高いんです。ただ、僕の目的は焼肉の魅力をたくさんの人に伝えることです。業界の人に「この値段はあり得ない」と言われることがありますが…。目的はそこじゃない。一度来ていただければ分かっていただけると思います。

 

ほんとにカツカツらしい

 

(きためし)
岩代さんの信念に触れると「お客様のために」なんて気軽に言えませんね。それほど徹底されている。そういう方針に決めたのはいつなのでしょうか。

 

(岩代さん)
焼肉店を持つと決めた時からです。ターゲットは「全ての人」。年齢層などを絞って価格を決めるのが一般的ですが、違います。日曜日なら家族連れ。早い時間なら学生さん。夜中なら飲食店関係者…。全ての人に最高等級のお肉を提供したい。サーロインやシャトーブリアンなんていうお肉は、学生さんが食べる機会は少ないです。だからこそ、食べてほしいんです。

 

(きためし)
たしかに、学生時代はシャトーブリアンが何かすら分かっていませんでした…。目先の利益に目がくらんで信念を曲げてしまう人は多いと思います。そんな中、岩代さんが徹底し続けられる理由は何ですか?

 

(岩代さん)
理由までは分かりませんが…。いまでも強く思うことがあります。焼肉は特別な食べ物ですよね。一般的な人にとっては月に1回、3ヵ月に1回、半年に1回という大きなイベントです。それほど楽しみにして来てくれた人に、残念な思いはさせられません。期待を裏切りたくないんです。

 

(きためし)
だからこそあの価格。期待を裏切らないための1つの要素というわけですね。

 

(岩代さん)
はい!おっしゃる通りです。

 

(後編に続く)

 

 

 

焼肉たまきのレビュー記事は↓

【中崎町】『焼肉 たまき』~肉好きが悶絶する大阪の焼肉店。上質なブランド和牛をお手頃価格でいただける~

2019年5月17日

 

岩代さんのInstagram

『焼肉たまき』代表:岩代さんのInstagramアカウント

 

 

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